大宮町 (静岡県)
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おおみやまち 大宮町 | |||
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大宮町鉄道馬車会社の碑 | |||
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廃止日 | 1942年6月1日 | ||
廃止理由 |
新設合併 大宮町、富丘村→ 富士宮市 | ||
現在の自治体 | 富士宮市 | ||
廃止時点のデータ | |||
国 | 日本 | ||
地方 | 中部地方、東海地方 | ||
都道府県 | 静岡県 | ||
郡 | 富士郡 | ||
市町村コード | なし(導入前に廃止) | ||
面積 | 23.52 km2. | ||
隣接自治体 | 富丘村、北山村、富士根村、鷹岡町、岩松村、富士川町、庵原郡松野村 | ||
大宮町役場 | |||
所在地 | 静岡県富士郡大宮町 | ||
座標 | 北緯35度13分19秒 東経138度37分18秒 / 北緯35.22197度 東経138.62167度座標: 北緯35度13分19秒 東経138度37分18秒 / 北緯35.22197度 東経138.62167度 | ||
富士地域の町村制施行時の町村。15が大宮町。(16.富岡村) | |||
ウィキプロジェクト |
大宮町(おおみやまち)は静岡県富士郡に存在していた町である。現在の富士宮市の中心部にあたる。
来歴
[編集]- 1889年(明治22年) 4月1日 - 大宮町が発足。
- 1932年(昭和7年) 4月21日 - 大宮町大火。約1200戸焼失。約7500人が被災した[1]。
- 1942年(昭和17年) 6月1日 - 富丘村と合併し市制施行。県内で7番目の市制施行で、富士郡では初である。当時(市制施行以前)の大宮町の人口規模は約2万6000人とされ[2]、富士郡の中心地であった。
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば大宮町の篤農家は、「菅沼正作、池谷佐平、塩川定次郎、塩川廣作、塩川乙吉、野村徳兵衛、都築泰輔、渡邊里次郎、石川勇平、山本正造、高野久吉、塩川忠平、菅沼與五郎、深澤健三郎、佐野徳次郎、篠原久次郎、角田大逸、三宅總七、角田雄五郎、望月重太郎、久保田福次郎、米山米作、山本寅次郎、鈴木今吉、大竹義道、大井忠義、土屋勝太郎、高瀬牧太郎、小池由兵衛、角田泰三」などである[3]。
文化
[編集]かつては駿河国富士郡に属しており、主に富士山本宮浅間大社の門前町としての顔を持つ。古より六斎市が行わる商業地であり、後に今川氏真により楽市令が発布された。
富士氏の根拠地でもあり、中世以降常に富士氏の影響下にあった地である。地理上駿河国と甲斐国を結ぶ地であり、中道往還が位置している。そのため、駿河と甲斐間での争いの際は、大宮は常に政治的緊張にあった。また、駿河から伊豆国へ至る街道を結ぶ場所でもあったため、宿場町としても栄えた。古より富士参詣の道者が来訪し、道者達は湧玉池で禊を行い水垢離を行ってから登拝を行った。
出身・ゆかりのある人物
[編集]- 望月軍四郎(九曜社、横浜倉庫各社長)
脚注
[編集]- ^ 被災七千五百人、町役場も焼ける『東京朝日新聞』昭和7年4月23日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和6年-昭和7年』本編p57-58 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 富士宮市公式
- ^ 『大日本篤農家名鑑』240頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月6日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。